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荒井修光の頁
あらい のぶあき
生年月日 昭和48年8月11日
出身地 千葉県
投打 右投左打
身長 177cm
体重 75kg
球歴 我孫子高−早大−日本ハム
高校時代は投手で鳴らしたが
捕手に転向したのは大学に入ってから   
在籍96〜03の8年間
趣味 音楽鑑賞
血液型 B
コメント ファームで頑張っていたが、新天地 
広報マンとしての活躍に期待。
↑04.2/22
名護キャンプツアー

データ(03年度)
打率 試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 四死球 三振
.246 81 65 12 16   3  0  0  19  6  1  0  5 15

鵜久森の取材で、写っていないが傍で立ち会い 監督の取材にもメモを取り立ち会い 今日は休日でも大忙し
  11月8日から16日迄鴨川キャンプ  
球団からの広報は荒井氏1名の帯同でマスコミや
外部連絡等大忙しの窓口を毎日手慣れた様子で捌いていた。

今回の鴨川は たまたま選手達と同宿の幸運に恵まれ
休日を挟んでの3ヶ日はロビーや食堂で荒井広報や選手達、
又、地元の方々とコミュニティが図られ有意義な見学会となりました。

荒井パパは子煩悩
05.2/19
北海道日刊新聞社の記者(キャップ上野耕太郎氏)に女の子が誕生
そこで、荒井広報から父親として 抱っこの仕方やむずがる子のあやし方など「パパ道」を教えてもらっている。
 
荒井広報は03年に現役を引退後、広報になった。91年、我孫子高3年の夏、投手として甲子園に出場。
当時同校の監督をしていた父致徳さんと父子鷹として有名になった。
早大進学後、2年の春に捕手に転向し、95年ドラフト2位で日本ハムに入団した。

 現役選手から広報への転身。寂しくもあったが、うれしいこともあるという。
それは3歳になる長女優奈ちゃんと「一緒に寝られる」ことだ。
現役時代は帰宅も遅く、自身の体調管理もあって寝室は別。厳しい現役選手の生活があった。
「ほんと、子どもってかわいいですよ」。荒井広報は顔をくしゃくしゃにして笑う。
そんな「パパの顔」を見ると、まだ見ぬ我が子に会いたくなってしまう。


沖縄キャンプ見学ツアー
05年2月4日〜2月6日
那覇からバスで移動中はかなり強い雨だったが、球場到着を待っていたかのように、
傘も要らないぐらいの小雨になった。
 到着を待っていた荒井広報は、球場施設、選手情報キャンプ等々 よどみなく手短に解りやすく説明してくれた。 
1年ぶりの再会で鎌ヶ谷の話に花が咲き、広報の水にもすっかりなじんできた様子で何よりでした
 普段は、新庄の専属広報ですが 下記の様に案内、司会等々本来の広報マンの一翼を担うエースとなって頼もしい限り。
キャンプ限定グッツ売り場はツアーの到着待っていました。(大笑)    会場設営から司会まで大忙し。   ファン・報道陣捌くの上手いでしょう!?

新庄より目立っている荒井さん
 新庄が練習後、三塁側芝生席のフェンス越しに即席サイン会を開いたが、強引お父さんが、子供をフェンス越しにぶら下げて
サインを貰う魂胆。子供はグランドに着地してサインゲット。
 近くにいた荒井広報は直ちに駆け寄り出口を指さすも子供理解せずウロウロ。

  ファイターズ“裏方さん”の激励会開催 04.11/29
ファイターズの裏方を激励する「もうひとつの激励会」が29日午後7時から、
札幌市中央区の札幌後楽園ホテル(大通西8)で開かれた。

激励会には、打撃投手の伊藤上明、ブルペン捕手の大塚義樹、監督専属通訳の
岩本賢一、新庄の専属広報・荒井修光中垣征一郎チーフトレーナーの5人が
招かれた。

自分は「昨年10月に戦力外になり、12月から球団事務所へ通っていたが、
息が詰まる生活を送っていた。そんな時、新庄さんの入団が決まり、
自分が担当することになった。でも、野球選手としては実績のある人だけど、
正直、『うぁ』と思った。ところが、新庄さん本人に出会って、本当に良い人だと
実感した」と新庄外野手との出会いまでをコメント。      

新庄が誕生祝い
04.8.11
31歳の誕生日を迎えた荒井広報に、最新のシステム手帳を贈った。荒井広報は  
「普段使っている手帳が折れ曲がっているのを、見てくれていたんですね」と目頭を熱くしていた。

04.2/21吉崎・木元選手に荒井広報も特別参加