日本ハム本社の創業者で、球団前オーナーの大社義規(おおこそ・よしのり)氏が27日午後5時45分、 心不全のため兵庫県内の病院で死去した。90歳、香川県出身。通夜は30日午後6時から、 葬儀・告別式は5月1日午後0時半からいずれも、大阪市中央区本町4の1の3、 本願寺津村別院=(電)06(6261)6796=で。 喪主は本社取締役常務執行役員で球団会長の長男啓二(ひろじ)氏。 34年に旧制高松高商を中退し、42年に日本ハムの前身となる徳島食肉加工場を設立 同業他社との合併などを積極的に進め、業界トップ企業に育てた。ピーク時には1兆円に 迫る売り上げ高をあげ、創業から半世紀で業界最大手に育てた。73年には日拓ホーム・フライヤーズを買収。 81年に念願のリーグ優勝を果たした。73年に「藍綬褒章」、88年に「勲二等旭日重光章」を受章した。 90年に本社代表取締役会長に就任したが、2月1日生まれのため、 体調を崩す以前はキャンプインの誕生祝いが恒例行事。 愛きょうのある巨体がトレードマークの名物オーナーとして知られたが、 02年、食肉偽装問題の責任を取り本社会長球団オーナーの座を退いた ≪喪章をつけてプレーへ≫日本ハムナインは29日のオリックス戦(札幌ドーム)で、ユニホームに喪章を付けて臨む方針だ。 球団関係者は「まだ正式に決まってはいないが、その方向で調整しています」と説明。 折しも、ヒルマン政権通算300試合目にもあたる節目のゲームで、大社前オーナーにささげる白星を目指す。
球界のためご尽力頂いたわけで、残念としかいいようがない。野球が好きで球団を経営して くれるのはありがたかった。後を引き継ぐ人が立派に日本ハム球団を仕立ててほしい。 小池パ・リーグ会長 大社オーナーは純粋なまでに野球を愛し、12球団のオーナーの中でも特筆されるほどチーム を愛しておられた方でした。プロ野球への貢献も多大であり、ただただ感謝するばかりです。 今村球団社長 球場によく足を運ばれ選手を激励していた姿を思い起こします。初代オーナーの遺志を継いで優勝目指していきます。 白井ヘッドコーチ 前オーナーには何とか日本一の喜びを味わって欲しかったのですが…、それだけが残念 ヒルマン監督 野球にも、情熱を注がれた方なので、その思いを忘れずにやっていきたい。 小笠原選手会長 昨年までは元気な姿で直接現場へ足を運んでくれ、“調子はどうだ?”と優しく声をかけて くれたのが何よりの励みとなった。謹んでご冥福をお祈り申し上げます 大沢啓二氏 昭和56年リーグ優勝の時には「ビールを頭から飲んだのは、はじめてだ」と子供のように喜んでいた姿が、 今でも思い出に残っています。そう言う意味でももう一度、オーナーの胴上げが見たかった
ナインは4月29日のオリックス戦(札幌ドーム)で、ユニホームに喪章を付けて臨み、 ベンチに遺影がおかれていたが、試合に負けたので1日遅れの報告となった。 4月30日エースの金村投手が先発で登板し、6回1失点でお得意さまの オリックスから今季早くも3勝目。昨季を含めると10連勝となった。 打線の援護を受けて、5回無死満塁のピンチも1点に抑えた。大差が付いた6回終了で 降板し継投策も成功し今季通算4勝目を飾った。 この日は特に勝利にこだわったという。「亡くなった大社(前)オーナーに白星を贈りたかった」
ファイターズをこよなく愛した名物オーナーを偲び、棺には帽子とユニホームが入れられた 高田GMは、「背番号100はファイターズの永久欠番にします。 前オーナーは優勝したとき着ると話されていた」とリーグ制覇にも意欲を見せている
訪れたのは同監督のほか、島田利正チーム統括本部長、三沢今朝治球団社長補佐、白井一幸ヘッドコーチ、 田村藤夫投手兼バッテリーコーチ、岩本賢一通訳の6人。 2日午前、札幌から空路、現地入りした一行は弔問後、義規氏の長男、啓二会長と食事をしながら故人をしのんだ。 ヒルマン監督は広報を通じて「前オーナー逝去の悲しみはいまだ癒えないが、素晴らしいオーナーによって築かれた 素晴らしいチームの一員であることにあらためて誇りを感じた一日だった」とコメント。 05/5/3
球団の一員である事をあらためて誇りに感じた1日でした」 監督に同行した島田チーム統轄本部長、白井ヘッドコーチ、田村コーチ、三沢社長補佐、 岩本通訳が、大社球団会長と、故人を偲んで思い出を語りあいました
大社義規前オーナーをしのび、5月27日の(札幌・ヤクルト戦)からユニの右袖に黒のラインをいれて戦うことが決まった。
4月27日に逝去された元会長で前オーナーの大社義規氏の「お別れの会」が7日、東京都港区のプリンスホテルで開かれ、 約2100人が献花した。今村球団社長やヒルマン監督、選手ら約50人も参列し、故人をしのんだ。 ヒルマン監督が献花した後、選手を代表して田中幸、岩本、小笠原がバットとボール、グラブを供えた。他の選手やスタッフらも霊前に花を供えた。 ヒルマン監督は「われわれ(チーム)の父である前オーナーのお別れの会に出席できてうれしく思う」と冥福を祈った。 愛用のグラブを供えた田中幸は「(前オーナーの)写真を見てジーンときた。もう一度、優勝(をプレゼント)したかった」小笠原も試合で使ったバットを手向けた。 「声を掛けられると、元気にやろうという気持ちになった。元気なプレーをするのがせめてもの恩返しです」と話していた。 |