09年OB会
TOP
94年9月引退セレモニー(東京ドーム)
訃報・大沢啓二氏逝く
10.10.7
日本ハムファイターズ元監督、大沢啓二氏が10月7日(木)午前7時25分、
胆のうがんのため東京都内の病院で逝去した。享年78歳。
神奈川県出身。神奈川県立商工高校、立教大をへて1956年、右投右打の外野手として
南海(現:ソフトバンク)に入団。1965年に東京(現:ロッテ)に移籍し、同年現役を引退した。
10シーズンで通算988試合に出場して打率2割4分1厘、501安打、17本塁打、191打点。
監督としては725勝723敗99分けだった。
現役引退後は東京・ロッテで打撃コーチや監督を歴任し、1976年に日本ハムの監督に就任。
江夏豊投手らをトレードで獲得するなどチーム改革に取り組み、
光り輝いたのは、江夏、柏原、高橋一三、ソレイタといった猛者たちを巧みに使い、
1981年には東映時代の1962年以来19年ぶりの球団創設8年目にして初の優勝をもたらした。
当時の大社義規オーナー(故人)を胴上げし、男泣きしたのは有名。
「大社さんほど野球が好きなオーナーはいない。あの人を胴上げできないようでは男がすたる」。
日本シリーズでは江川の巨人に敗れたが、日本ハムが北海道に移転するまでの唯一のリーグVだった。
84年にフロント入りし1985年から1992年までは球団常務。
充実したファーム施設を持つことがチーム強化につながると
先代大社オーナに熱心に訴え、「ファイターズタウン鎌ケ谷」誕生の礎を築いた。
貫禄のある容貌と親分肌の性格、歯に衣を着せぬ言動などから“親分”の愛称で親しまれ、
1993年の流行語大賞・大衆語部門・
金賞
を受賞している。
監督退任後は、ファイターズOB会顧問やプロ野球評論家として活躍していた。
通夜 10月13日(水)午後6時
葬儀告別式 10月14日(木)正午
場所 増上寺光摂殿=東京都港区芝公園4−7−35
電話03−3432−1431
喪主 長男 康人(やすと)氏
故・大沢啓二さん(享年78歳)の通夜が13日、東京・港区の増上寺光摂殿で
営まれ、球界、芸能関係者の約1200人が参列した。
法名は「将導院球岳日昭大居士(しょうどういんきゅうがくにっしょうだいこじ)」。
愛称である「親分」の意味を「将」に込め、
また由紀子夫人(77)の意向で「球」という文字が加えられた。
主な参列者
加藤良三コミッショナー
大社啓二オーナー
藤井純一球団社長
島田利正球団代表
山田正雄GM
梨田昌孝監督
田中幸雄コーチ
西崎幸広OB会長
黒江透修OB連合会長
長嶋茂雄
原辰徳
篠塚和典
小笠原道大
片岡篤史
張本勲
10月13日
東尾修
有藤通世
上田利治
江夏豊
中西太
衣笠祥雄
関根潤三
山本浩二
高木豊
江藤省三
菅原文太
徳光和夫
梅宮辰夫
みのもんた
實松一成
故・大沢啓二さん(享年78歳)の葬儀告別式が14日、東京・港区の同所、増上寺光摂殿で
営まれ、球界、芸能関係者の約800人が参列した。
大社オーナー、関口宏に続いて弔辞は張本氏が遺影に向かって述べた。
「大沢さん。悲しいです。悔しいです。残念でなりません。ぼう然としています。
78年間野球一筋に生きてこられた大沢さんに『あっぱれ』です」。
葬儀委員長を務めた黒江氏も、あいさつの後に「あっぱれ三唱」で締めた。
棺には当時の球団旗が掛けられ、親分の野球界に対する功績の大きさを示すように
出棺の時にもファン、関係者からの「親分!! あっぱれ!!」の声は最後までやまなかった。
主な参列者
加藤コミッショナー
大社オーナー
島田代表
山田GM
金子誠
田中賢介
黒江透修
高田繁
江夏豊
張本勲
王貞治
吉田義男
みのもんた
田淵幸一
江本孟紀
岩本勉
桃井恒和
徳光和夫
錦野旦
八名信夫
江川紹子
杉下茂
白井一幸
川藤幸三
光山英和
水前寺清子
加藤コミッショナーコメント
選手としてのはつらつとしたプレーが目に焼き付いています。
評論家となってからも、野球界の発展に多大な貢献を頂きました。
心より哀悼の意を表します。
大社オーナーコメント
大沢元監督のご逝去にあたり、心よりお悔やみを申し上げます。
ここ数週間、日曜日の朝の番組をお休みされていたので心配しておりましたが、
今朝の訃報を聞き大きな支えを失った気がいたします。
日本ハムファイターズ時代の唯一の優勝監督であり、球団の取締役も長くお務めを頂きました。
また退団後もファイターズを愛する熱烈なサポーターとして、あらゆる場面で叱咤激励を頂戴し、
私自身も幾度となく気持ちの引き締まる思いがいたしました。
今後もその熱い想いにお応えできるよう務めて参りたいと思います。
藤井球団社長コメント
突然の訃報に大変驚いております。誰よりも野球を愛され、情熱を注がれた方でした。
球場のみならず沖縄のキャンプ地にも足を運ばれ、
球団を温かく見守っていただいておりましたので本当に残念でなりません。
球団の取締役としても大きな力を発揮していただきました。心よりお悔やみ申し上げます。
島田球団代表コメント
2月から体調の悪いのは知っていました。私か入団して最初の監督でした。
一番の思いでは門限を破って、30歳近かったのに殴られたこと。
翌日は食事会場で目の前に座らされてビールを飲まされました
梨田監督コメント
突然の訃報で非常に驚いております。
ファイターズは毎年名護でキャンプを行っていますが、
今では各球団、当たり前のようになっている沖縄でのキャンプを最初に導かれたのも大きな功績で、
そのような先見の明をお持ちになっていたことにも常々尊敬の念を抱いておりました。
大沢“親分”と呼ばれるだけあって、非常に面倒見がよく、
他球団出身の私がファイターズの監督に就任した際にも大変温かく迎え入れていただきました。
まだまだお元気で野球界を引っ張っていただきたかったのに残念でなりません
田中ファーム打撃コーチコメント
宿舎からの出発前に妻から連絡があり、大変驚きました。
結婚の時には媒酌人もしていただき、公私共に大変お世話になりました。
ファイターズに入れたのは、大沢さんが高校の時にわざわざ足を運んで
見に来てくだったおかげでもあり、それがなければ今の自分はなく、
本当に偉大な存在でした。もっともっといてほしかったです。
ご冥福をお祈りいたします。
田中選手会長コメント
あまりにも突然の訃報に今はただ驚いています。
ファイターズにとってかけがえのない大きな存在でした。
最近はテレビでご活躍を拝見することが多かったのですが、
チームの状態が良い時も、悪い時もファイターズを
愛してくださっているのが画面を通して伝わってきました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
稲葉主将コメント
ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。
ファイターズに入団した頃はなかなか名前を覚えて頂けなかったのですが、
2006年に日本一になった頃からは球場でお会いすれば気軽に声をかけていただき、
ようやくファイターズの選手になれたなと実感したのが強く記憶に残っています
ダルビッシュ選手コメント
球場などでお会いした際には温かく、
優しい言葉ばかりかけていただいたことを良く覚えています。
いつも気にかけていただき、励みになっていました。
野球界にとってあまりに大きな損失だと思います。ご冥福をお祈りいたします。
ヒルマン前監督コメント
大沢さんは、いつもあの優しい笑顔で我々を励ましてくださいました。
2005年、チームが思うような成績を上げられないとき、
真っ先声をかけてくださったのが大沢さんです。
『ヒルマン、頑張れ。あきらめるな。必ず道は開けるぞ』と、
力強く私の手を握ってくださったときの温もりを、今でも忘れることができません。
指揮官としてどうあるべきかご指導をいただいたとき、
『ファイターズを頼んだぞ。この球団は、オレにとって何より大事なんだ』との言葉に、
身が引き締まりました。大沢さんから教えていただいたことをいつまでも忘れないことが、
せめてもの恩返しとなればと願うばかりです。
張本勲氏コメント
悲しいというより悔しい。まさかこんな急に…。
(3日の番組の)本番終了後、お見舞いに行ったばかり。
細い声だったけど会話もできたし、また一緒に番組に出られると信じていたのですが…。
『ハリやん、飯食いに行こうか』とまた電話がかかってきそうな気がする
長嶋元巨人監督コメント
気さくに声を掛けていただいた頼もしい先輩でした。
近年はテレビなどを通じて、選手たちをしっ咤激励されるお言葉が印象的でした。
『喝』や『あっぱれ』を聞けなくなると思うと残念でなりません
王貞治氏のコメント
日本シリーズで対戦したとき、
守備位置を頻繁に変える魔術師のような選手といった第一印象でした。
常に野球界の先頭に立ち続けた、現在のプロ野球界の礎をつくったうちのお一人でした。
心よりお悔やみ申し上げます
江夏豊氏のコメント
父親代わり、父親以上の存在だった。思い出は星の数ほどある。
走馬燈のように頭の中を駆け巡っている。昨年末から体調が気がかりだった。
心からご冥福をお祈りします。
09.11.28 (OB会)
大社オーナら球団幹部と
09.11.28 (OB会)
しょうこさんらと
大沢元監督の訃報を受け、札幌市内にある日本ハムの球団事務所には、
リーグ初制覇した際の1981年の優勝旗と花が、ユニホーム姿の大沢氏の写真とともに飾られた。
札幌の合宿所前と千葉・鎌ケ谷タウンには、10日まで献花台を設ける。
大沢元監督の死去を受け、日本ハムは7日に宮崎で行われるフェニックスリーグの韓国・ハンファ・イーグルス戦で、
センターポールに半旗(球団旗)を掲げる。またチームの指揮を執る五十嵐2軍監督やコーチ、選手は喪章をつけてプレー。
試合前には黙祷(もくとう)を行う。
86番・永久欠番へ
大沢啓二氏が監督時代に付けていた86(ハム)番は、永久欠番にする事で球団が調整:と
検討に入った。
球団では先代オーナーの大社義規氏が付けていた「100」は既に欠番としているが、
監督、コーチ、選手では過去に例がない。しかし、島田利正球団代表は大沢監督時代に
通訳だった当時を振り返り、「これまでも86番は大沢さん以外は誰も付けていないし、
誰も付けようとしない。既に永久欠番のようになっている」と前向き発言。