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野球殿堂

プロ野球等で顕著な活躍した選手・監督や、野球界の発展に大きく寄与した人物の功績をたたえるために創設された。
1959年から選出が始まり、初年度は巨人の創設者である正力松太郎氏、
学生野球の父と呼ばれた阿部磯雄氏ら9人が殿堂入りした。

競技者表彰は選手、監督、コーチ、審判を引退して5年以上を経過した競技者が対象で69人。
特別表彰は引退後17年以上を経過した競技者と組織、管理に関して
野球の発展に貢献した人が対象で、計人が選出されている。

表彰者は東京ドーム内にある野球体育博物館内の殿堂ホールに、レリーフが展示される。
アメリカの野球殿堂は1939年に創設され、野球発祥の地との伝説がある
                  ニューヨーク州クーパーズタウンに博物館がある。
            (06.1月記)


2017年表彰式
2017.7.14
ことし1月16日に野球殿堂入りしていた星野仙一氏、平松政次氏とロッテの伊東勤監督の
表彰式が、7月14日のナゴヤドームで球宴前に行われた。
星野氏のコメント
「これも何かの縁。野球に感謝したい。
野球離れの傾向があるので尽力していきたい」


平松氏のコメント
「野球人最高の栄誉である殿堂入りが
できて大変光栄です」


伊東監督のコメント
「これからも微力ながら野球界のために貢献したい
まだ、現役監督として、ユニホーム姿で臨めて幸せ」



2017年は5人
2017.1.16
野球殿堂博物館は16日、東京ドーム内の野球殿堂博物館で平成29年度の野球殿堂入りを発表した。
プレーヤー表彰では、元西武の捕手で現千葉ロッテ監督の伊東勤氏(54)が選ばれ、
監督、コーチの退任後6か月以上、引退後21年以上を経過した人を対象とするエキスパート部門では、
中日、阪神、楽天の3球団で優勝監督となった星野仙一・楽天副会長(69)、
元大洋ホエールズのエースでカミソリと恐れられたシュートを武器に
通算201勝を果たした平松政次氏(69)の2人が殿堂入りした。

また特別表彰として、夏の甲子園で合計13度も決勝の球審を務めるなど、
高校野球の名審判だった故・郷司裕氏、元毎日新聞の野球記者で、
プロアマの公認野球規則の整備に尽力した故・鈴木美嶺氏の2人が選出された。
これで殿堂入りは述べ197人となった。

前列左より伊東勤氏、星野仙一氏、平松政次氏ら(時事通信社)

2016年は4人
2016.1.18
野球殿堂入りを決める野球体育博物館の表彰委員会は18日、
競技者表彰のプレーヤー表彰に西武、ダイエー、巨人などで通算224勝を挙げた
工藤公康氏(52=ソフトバンク監督)と巨人のエースとして活躍した斎藤雅樹氏(50=巨人2軍監督)を選出した。
工藤氏は候補者1年目の選出で恩師のソフトバンク・王貞治球団会長らに次ぐ4人目。

東京ドーム内・野球体育博物館の工藤公康氏と斎藤雅樹氏

エキスパート表彰は大毎(現ロッテ)などで通算2314安打を放った故榎本喜八氏。
特別表彰は元法大監督の山中正竹氏(68)、戦後の野球復興に尽力した元衆院議員の故松本瀧蔵氏が選ばれた。

今回で競技者表彰89人、特別表彰は103人となった。

表彰式は7月に予定されているオールスターゲーム第1戦で行われる。

2015年表彰式
2015.7.17

ことし1月23日新たに野球殿堂入りしていた古田敦也、故・林和男、故・村山龍平の三氏の表彰式が、
7月17日の東京ドームで球宴前に行われ、古田敦也氏と林氏の長男・清一氏に
花束とレプリカの盾が贈られた。村山氏の表彰式は8月6日甲子園球場で
第97回全国高校野球選手権大会 開会式終了後のグラウンドで行う予定。


2014年表彰式
2014.7.18

ことし新たに野球殿堂入りした野茂英雄氏、ソフトバンクの秋山幸二監督、佐々木主浩氏の表彰式が18日、
西武ドームでのオールスターゲーム第1戦の試合前に行われた。

 野茂氏と佐々木氏は日米を股に掛けて活躍。秋山監督は西武の黄金時代を支え、
ダイエー(現ソフトバンク)でもリーグ優勝と日本一に貢献した。
野茂氏にはピーター・オマリー氏から花束が贈られ、
秋山監督は西武時代に同僚だったロッテの伊東勤監督から、
佐々木氏は横浜でバッテリーを組んだ中日の谷繁元信監督兼捕手から祝福を受けた。
野茂氏は「オールスターゲームの前に式をしてもらい、野球選手としてうれしい限り」
秋山監督は「ここ(西武ドーム)で表彰してもらえるのも何かの縁」
佐々木氏は「野茂君は同期入団。いい目標の人がいたからここまで来られた」



2014年は3人
2014.1.17
野球殿堂入りを決める野球体育博物館の表彰委員会は17日、
競技者表彰のプレーヤー表彰で日米通算201勝で日本選手の
米大リーグ移籍のパイオニアとなった野茂英雄氏(45)、
西武とダイエー(現ソフトバンク)で中軸打者として活躍したソフトバンクの秋山幸二監督(51)、
日米通算381セーブの佐々木主浩氏(45)が選ばれた。

表彰式は7月に予定されているオールスターゲーム第1戦で行われる。
   近鉄やドジャースなどで
日米通算201勝。
殿堂入り資格を取得して
1年目での受賞。
ドラフト外の入団ながら西武、
ダイエー(現ソフトバンク)で活躍し、
通算2157安打と437本塁打を記録し
ソフトバンク監督 
横浜(現DeNA)とマリナーズで
日米通算381セーブ。
抑え投手として活躍した
 


甲子園で福嶋氏の表彰式
2013.8.15
1月11日平成25年度 特別表彰委員会選出で野球殿堂入りしていた
福嶋 一雄 氏が第95回全国高校野球選手権記念大会開催中の
阪神甲子園球場にて表彰式が行われ、
プロ野球機構・加藤良三コミッショナーから表彰盾レプリカが手渡された。



球宴前の表彰式
2013.7.20
元広島投手の大野豊氏と外木場義郎氏の表彰式が20日、
神宮球場でのマツダオールスターゲーム第2戦の試合前に行われた。

大野氏は先発、救援の両方で活躍し、史上6人しか達成していない「100勝、100セーブ」を挙げた。
「殿堂入りするとは夢にも思っていなかった。周りに認めてもらいたいと頑張ってきた結果」と感慨深げな様子だった。

広島の初優勝の原動力となり、完全試合を含め3度の無安打無得点試合を成し遂げた外木場氏は
「野球界最高の賞だと思っている。初優勝の感動は忘れることができない」と喜びをかみしめた。

2013年は3人
2013.1.11
野球殿堂入りを決める野球体育博物館の表彰委員会は11日、競技者表彰で元広島の
大野豊氏(57)と外木場義郎氏(67)を選出したと発表した。

プレーヤー部門で選ばれた大野氏は、軟式野球出身ながら、現役22年間で148勝、
138セーブを記録。引退後21年以上の選手が対象のエキスパート部門で選ばれた
外木場氏は75年の広島のセ・リーグ初優勝時に20勝をマークし、通算131勝。
戦後のプロ野球ただ一人ノーヒットノーラン3度(1試合は完全試合)を記録している。

特別表彰には終戦直後に福岡・小倉中(現小倉高)のエースとして夏の甲子園で
2連覇を果たした福嶋一雄氏(82)が選ばれた。
表彰式は7月に予定されているオールスターゲーム第1戦で行われる。


2012年は2人
2012.1.13
野球殿堂入りを決める野球体育博物館の表彰委員会は13日、
競技者表彰のプレーヤー表彰で広島の抑え投手として活躍し
「炎のストッパー」と呼ばれた故津田恒実氏、
広島のエースとして通算213勝を挙げた北別府学氏(54)を選出したと発表した。

表彰式は7月に予定されているオールスターゲーム第1戦で行われる。

故・津田恒実投手

妻・津田晃代さん

北別府学氏



2011年は2人
2011.1.14
野球殿堂入りを決める表彰委員会は14日、史上最多となる3度の三冠王を獲得し、
中日で監督を務めている落合博満氏(57)と、南海(現ソフトバンク)の主力投手として黄金時代を支え
「最後の30勝投手」として知られる故皆川睦雄氏の2人を選出したと発表した。殿堂入りは計173人。
落合氏と皆川氏の表彰式は7月に予定されているオールスターゲーム第1戦(ナゴヤドーム)で行われる。

皆川氏の妻、真智子さんと落合監督

落合博満
おちあい・ひろみつ
1953年12月、秋田県生まれ。二塁手・三塁手・一塁手。右投右打。
背番号6(ロッテ・中日)→60(巨人)→6(巨人)→3(日本ハム)。
秋田工高・東洋大学(中退)→社会人野球、東芝府中→1979年ドラフト3位でロッテ入団。
(ロッテ→中日→巨人→日本ハム)1981年に首位打者。
1982年に打率.325、32本塁打、99打点で最初の三冠王を獲得。28歳での獲得は史上最年少だった。
以後、1985年・1986年にも三冠王を続けて獲得。
特に1985年は、打率.367、本塁打52本、打点146という驚異的な記録をマーク。
1986年にも打率.360、50本塁打、116打点で2年連続50本塁打の偉業を達成する。
1987年にセリーグの中日に1対4のトレードで移って、日本人選手初の1億円プレーヤー
(その後、初の2億円&3億円&4億円プレーヤー)となる。1990年に34本塁打102打点で
本塁打と打点の二冠王を獲得。日本ハムで2年目の1998年シーズン終了後
、自由契約となり、そのまま引退(45歳)。2004年に中日の監督

皆川 睦雄
みながわ・むつお
1935.7.3生まれ (2005.2.6逝去)
山形県出身 米沢西高校→南海  右投げ右打ち 通算成績221勝139敗・奪三振1638・防御率2.42
主な記録★1安打試合、2回(1968.9/22対東映,1970.6/3対阪急)
★1シーズン30勝以上、1回(1968/31勝)★1シーズン10勝以上、8年連続合計12回
★1イニング8被安打(1963.7/6)★1日2勝、2回(1966.8/7対東京、1.2戦,1968.10/1対阪急、1.2戦)
★同一カードで10連勝(1966.4/10〜1967.4/8対東京)
★1シーズン100奪三振以上、3年連続合計7回★防御率ベストテン入り、5年連続合計8回
★完投数最多投手、1回(1968/27試合)
★完封勝利最多投手、1回(1968/8試合)
★無四球試合最多投手、1回(1968/4試合)


2010年は3人
2010.1.12
野球殿堂入りを決める野球体育博物館の表彰委員会は12日、
競技者表彰として元西武監督の東尾修氏(59)、元太平洋(現西武)監督の故江藤慎一氏(享年70)、
特別表彰で立大、熊谷組とアマ一筋で活躍し、日本社会人野球協会(現日本野球連盟)理事を務めた
故古田昌幸氏(享年65)の殿堂入りを発表した。
殿堂入りは計171人。表彰式は東尾、江藤両氏が7月23日の球宴第1戦(ヤフードーム)
古田氏が8月27日の都市対抗開会式で行われる。

東尾 修
ひがしお・おさむ
プロ入りした1969年、8試合に登板して未勝利(2敗)
当時の西鉄は大黒柱の稲尾和久氏(故人)が69年に引退し、監督に就任。
50年代後半の圧倒的な強さは既にうせていた。
70年は「黒い霧事件」でエースの池永正明氏らが永久失格処分となり、投手陣は
火の車に。検討されていた野手転向が白紙になった東尾氏は、2年目には投手陣の
柱として40試合に登板。初勝利を含む11勝(18敗)を挙げた。
だが、身売りを繰り返した弱小球団でシーズン20敗以上を2度経験しながら、
ライオンズ一筋に20年間投げ続け、251勝247敗とわずか四つしか勝ち越していない。

江藤 慎一
えとう・しんいち
熊本・熊本商高から日鉄二瀬を経て59年中日入り。右の強打者として64、65年と
ロッテ移籍後の71年に首位打者となり、史上初めて両リーグで首位打者を獲得した。
ファイトあふれるプレーで「闘将」の異名を取った。
その後大洋などを経て76年引退。75年には太平洋で監督を兼任した。
通算2057安打、367本塁打、1189打点、打率2割8分7厘。熊本県出身。
08年、70歳で死去した。 弟の省三氏も中日などで活躍し現慶大監督。



古田 昌幸
ふるた・まさゆき
熊本・九州学院高から立大入り。二塁手として三塁手・長嶋茂雄、遊撃手・本屋敷錦吾と
ともに堅い内野陣を形成した。社会人の熊谷組に進み、勝負強い打撃と好守で
都市対抗野球優勝3回。3回目の優勝となった66年には監督兼任で出場し、
準々決勝で延長十回に逆転サヨナラ本塁打を放つなど橋戸賞(最優秀選手)を受賞。
引退後は日本野球連盟理事などを務めた。熊本県出身。99年、65歳で死去。




09年表彰式
09.7.24
今年1月に野球殿堂入りした元ヤクルト監督の若松勉氏(62)、元大洋監督の故青田昇氏(享年72)、
前日本ハムオーナーの故大社義規氏(享年90)の表彰式が24日、
札幌ドームでのオールスター第1戦の試合前に行われた。

レリーフを手にした若松氏は、並んで表彰を受けた青田氏の夫人・満子さん、
大社啓二・日本ハムオーナーらを代表してあいさつ。

「32年間、ヤクルト一筋で頑張ってきました。また、札幌の地は北海高校で野球人生をスタートさせた場所です。
この札幌ドームで表彰を受けることに大変ご縁を感じます」とコメント、
満員のスタンドから大きな拍手がわき起こった。

大社啓二オーナーコメン
「私どもファイターズの本拠地で大勢の皆さまの前で表彰していただいたことは本当に幸運であります。
何より野球を、ファンを愛した故人にとって大変喜ばしいことであったと思いますし、
チームにおいても名誉なことであると改めて感じました」

大社義規前オーナーの殿堂入りを記念し永久欠番
09.2.1
大社義規前オーナーの背番号100・永久欠番記念フレーム

キャンプイン当日ホームベース付近で
大社啓二オーナー、梨田昌孝監督、稲葉篤紀主将、田中賢介選手会長による
ユニフォーム入り記念フレームの除幕を行なった。

選出4人に伝達式
09.1.13
野球殿堂入りを決める野球体育博物館の表彰委員会は13日、
元ヤクルト監督の若松勉氏(61)、巨人などで活躍した故青田昇氏、日本ハム前オーナーの故大社義規氏、
日本の野球史を研究した故君島一郎氏の4人を選出した。


大社義規・青田昇 両氏の遺影


君島一郎・大社義規・青田昇各氏の遺影


(前列左より)故君島氏の孫・竹内宣之、大社啓二現オーナー
故青田昇の妻・満子、若松勉の各氏
文京区野球博物館でで09年1月13日午後


09年は4人
09.1.13

野球殿堂入りを決める野球体育博物館の表彰委員会は13日、
元ヤクルト監督の若松勉氏(61)、巨人などで活躍した故青田昇氏、日本ハム前オーナーの故大社義規氏、
日本の野球史を研究した故君島一郎氏の4人を選出したと発表した。殿堂入りは計168人となった。

写真ページ

若松 勉
わかまつ・つとむ
競技者表彰のプレーヤー表彰として選ばれた若松氏は
ヤクルトの中心打者として1978年に球団史上初の
日本一に貢献するなど活躍。監督としても2001年に
日本一に輝いた。首位打者に2度輝き、通算打率は
日本選手最高の3割1分9厘(4000打数以上)。
2173安打、220本塁打をマークした。

青田 昇
あおた・のぼる
競技者表彰のエキスパート表彰で選出の
元大洋(現横浜)監督の故青田氏は川上哲治、
千葉茂らと巨人の主力として活躍。首位打者に1度、
本塁打王に5度、打点王に2度輝いた。
通算成績は打率2割7分8厘、265本塁打、1034打点。

大社義規
 おおこそ・ よしのり
特別表彰で選ばれた故大社氏は1942年に日本ハム株式会社の
前身母体となる「徳島食肉加工工場」を徳島県で設立。
その後大阪市に拠点を移し、「鳥清ハム」との合併を経て1963年に
現社名に変更、ハム・ソーセージを中心とした食肉加工のトップメーカーに成長させた。

1973年には、日拓ホームフライヤーズを買収し、日本ハムファイターズとして
プロ野球に参戦。オーナーに就任し、チームの躍進とともに企業の
イメージアップにつなげた。1981年には19年ぶり(1962年、東映時代以来)、
日本ハムとしては初めてのパシフィック・リーグ優勝を見届けた。

2005年4月27日午後5時45分、兵庫県の病院にて心不全のため死去。
享年91(満90歳没)。その後は甥で養子の大社啓二氏が日本ハム取締役、
北海道日本ハムファイターズオーナーを引き継ぎ現在に至っている。

大社啓二オーナーは、前オーナーの故義規氏について「常にファンや選手の
ことを第一に考えていた」と懐かしんだ。

 特に子供を大切にしていたという。「日本ハムが大きな会社になって、
社会への恩返しの気持ちがあったのだと思う。これからも故人の思いを継承して
野球を、ファンを、愛する球団であり続けたい」と話した。


君島一郎
 きみじま・いちろう
1887年4月生まれ、栃木県出身。旧制一高時代に野球部に在籍し、
二塁手としてプレー。1912年、東京帝大卒業後、日本銀行入行。
40年、朝鮮銀行副総裁に就任し、45年2月退任。
71年、2度にわたり学士会会報に論文「日本野球発祥の地−それは今の学士会館本館敷地」
「野球渡来諸説」を発表、72年に論文をまとめた「日本野球創世記」を著述・刊行した。
75年4月、88歳で死去

 表彰式は7月24日のオールスターゲーム第1戦(札幌ドーム)で行われる。

 ▼若松勉氏の話 私は体も小さく、プロから逃げていたところがあった。
でも、コーチだった中西太さんが「体は小さくとも下半身を鍛えればできる」と言ってくれた。
野球一筋32年間。それを信じてついていったことが殿堂に入れた原因だと思う。

08年表彰式
08.8.1
今年、1月に野球殿堂入りが決まっていた前広島監督の山本浩二氏と前巨人監督の堀内恒夫氏の
表彰式が8月1日、オールスターゲーム第2戦(横浜)の試合開始前に行われた。
そして二人を代表して山本浩二氏が挨拶をした。

08年は3人
08.1.11
野球殿堂入りを決める野球体育博物館の競技者、特別両表彰委員会は1月11日競技者表彰として
山本浩二氏、堀内恒夫氏、故嶋清一氏の3人が殿堂入りすることを発表した。

前広島監督で北京五輪日本代表コーチの山本浩二氏(61)、前巨人監督の堀内恒夫氏(59)、
特別表彰で“伝説の大投手”故嶋清一氏(享年24)の殿堂入りを発表した。
殿堂入りは計164人。表彰式は8月1日の球宴第2戦(横浜)で行われる。

山本 浩二
やまもと・こうじ
1946年(昭21)10月25日、広島県生まれの61歳。
法大から69年ドラフト1位で広島入り。75年に首位打者を
獲得し球団初優勝に貢献。77年から5年連続40本塁打を
記録するなど「ミスター赤ヘル」の愛称で広島黄金時代を
築いた。通算打率・290、536本塁打、1475打点。
現役引退後は広島監督を計10年務めた

堀内 恒夫
ほりうち・つねお
1948年(昭23)1月16日、山梨県生まれの59歳。
甲府商から65年ドラフト1位で巨人入りし、新人記録の
開幕13連勝など1年目から16勝。最優秀防御率、
沢村賞、新人王を獲得。その後も13年連続2ケタ勝利など
エースとして巨人V9に貢献した。
通算成績は203勝139敗6セーブ、防御率3・27。
04年から2年間、巨人監督を務めた。

嶋 清一
 しま・ せいいち
1920(大正9)年12月15日和歌山県 明治大学
左腕からの速球とドロップを武器に学生野球で活躍した。
特に、第25回全国中等学校優勝野球大会(昭和14年)で全5試合を完封。
準決勝、決勝では2試合連続ノーヒット・ノーラン達成という、
大会史上初の偉業を成し遂げた。
全5試合で被安打8、奪三振57、外野への飛球はわずか12という成績は
投球の威力を物語るものである。
また、4番打者としても20打数11安打の打率.550という成績をのこし、
投打にわたる活躍で海草中学を初優勝へ導いた。
昭和20年3月インドシナ半島沖の海戦で戦死。享年24歳


07年は2人を球宴試合前表彰
07.7.20
競技者表彰で新たに野球殿堂入りした元阪急(現オリックス)投手の梶本隆夫氏(故人)と
特別表彰で84年ロサンゼルス五輪で金メダルを獲得した元日本代表監督、松永怜一氏(75)の
表彰式がオールスターゲーム第1戦(東京ドーム)の試合開始前に行われた。

 昨年9月に呼吸不全で死去した梶本氏の代理として享子夫人(66)は孫の明里ちゃん(9)、田村将人くん(12)と出席。
それぞれコミッショナーから楯が送呈、松永氏に対しては法大監督時代の教え子で、
山本浩二氏と田淵幸一氏から花束が贈られ一同記念撮影を行った。

両者とも居並ぶスター選手の前での式典で(これからも球界に対し貢献したい)と松永氏が代表挨拶した。

山田久志氏のパーティー
06.12.3
今年の1月10日に新たに野球殿堂入りが決まっていた
山田久志氏の野球殿堂入りを記念するパーティーが12月3日、
大阪市内のホテルで約700人が参加し、盛大に開催された。
会場には各界から多数の著名人やイチロー選手なども駆けつけ、大きな拍手を受けた。

球宴試合前に門田氏ら殿堂入り5人を表彰
06.7.21
今年の1月10日に新たに野球殿堂入りが決まっていた
元南海(現ソフトバンク)の門田博光氏ら5人の表彰式が21日、
オールスターゲーム第1戦(神宮)の試合開始前に行われた。
球宴出場選手らが整列する中、歴代3位の通算567本塁打を記録した門田氏のほか、
中日で名手として活躍した高木守道氏、阪急(現オリックス)黄金期のエース山田久志氏、
西鉄(現西武)黄金期の内野手だった豊田泰光氏、
前プロ野球コミッショナーの川島広守氏がそれぞれグラウンド内で表彰された。

“06”野球殿堂入り
06.1.10
06年の野球殿堂入りが1月10日、文京区の東京ドーム内、野球体育博物館で発表され
競技者表彰で元南海、オリックス、ダイエーの強打者として歴代3位の567本塁打を放った門田博光氏(57)、
中日の内野手としていぶし銀の活躍を見せた高木守道氏(64)
阪急の投手として284勝を挙げた山田久志氏(57)の3人が選ばれた。

特別表彰では前コミッショナーの川島広守氏(83)と、西鉄等で活躍し、引退後は鋭い評論活動を
続けている豊田泰光氏(70)が選ばれた。殿堂入りは計159人となった。

門田 博光
かどだ・ひろみつ
1948年生まれ。65年に奈良・天理高で全国選手権大会に出場。
社会人を経て、70年に南海(現ソフトバンク)入団。
79年にアキレス腱を断裂したが、翌年、41本塁打を放った。
88年に40歳で放った44本塁打、125打点は最年長記録。
実働23年で本塁打王3回、打点王2回。

高木 守道
たかぎ・もりみち
1941年生まれ。59年に県岐阜商高で選抜大会準優勝。
60年に中日に入団。二塁手で7度のベストナインは、2リーグ制
以降では最多。 63,65,73年には盗塁王。 78年に通算2千本
安打を達成した。実働21年で2282試合、打率2割7分2厘、
236本塁打、813打点、396盗塁。

山田 久志
やまだ・ひさし
1948年秋田県能代市生まれ。社会人の富士鉄釜石から69年、
ドラフト1位で阪急入団。2年目の70年から17年間連続2桁勝利を
マークした。20年間での通算284勝166敗は歴代7位。
オリックス、中日コーチを経て02,03年は中日監督を務め
3位、2位だった。